時間には2種類あります。
全人類に等しく流れる「時刻」の時間。
もう一つが一人一人の意識の中に存在する「時熟」の時間。
学校において先生や保護者が不登校の生徒・引きこもりになってしまった生徒を目の前にした時に大きく揺さぶられる理由はこの「時刻の時間」と「時熟の時間」のギャップによるものです。
先生や保護者はその子の成長を待ちたいという気持ちがありますが、その気持ちとはウラハラに時刻は残酷にも無常に過ぎていきます。
いわば、時刻の時間と時熟の時間とのギャップに葛藤しているのです。
この記事では学校における時刻の時間と時熟の時間についてもう少し詳しく解説していきます。
参考文献
学校は「時刻」の時間で動いている
社会人になると、
- 8時‐出勤
- 12時~13時‐ランチ
- 17時‐退勤
と時間に沿って一日が進んでいきます。
寝坊して遅刻したり、そんなに仕事はないのに計画通りに進まず残業ばかりすると一緒に働く人からはあまり良く思われません。
現代の社会人にとって、時間に沿って計画を立てて行動できることが必要不可欠であり、学校では子供たちはこのタイムマネジメントを身に付けます。
なので、学校では時計・カレンダーに沿ってあらかじめ計画された通りに行動することが求められています。
つまり、学校は「時刻」の時間で動いているのです。
心の成長は「時熟」の時間
「時刻」の時間がある一方で子どもたち一人一人の中には「時熟」の時間という別の時間があります。
- 初めて言葉を発した日
- 初めて1人でバスに乗れた日
- 初めて友達ができた日
- 初めてケンカした日
これらの時間はあらかじめ時計・カレンダーで「この日に起こる」と決まっていたわけではありません。
このように時間が熟することを河合(2002)は「時熟」と呼びました。
「時熟」の時間は一人一人の進み具合が異なっており、心の成長に関わる出来事の多くは「時刻」の時間です。
「時刻」と「時熟」の葛藤
2019年、文部科学省が発表した不登校の小・中学生の人数は16万4528人で前年よりも2万人以上増えていました。
不登校児・引きこもりを目の前にしたとき、先生や保護者は「子どもを信じて待ちたい」という思いと「学校生活から遅れてしまう」という心配が交錯し動揺します。
こうした先生や保護者が体験する焦りは「時刻の時間」と「時熟の時間」の間の葛藤として理解することが出来ます。
最後に
学校には色々な生徒がいます。
ウサギみたいな子も居れば、カメみたいな子も居ます。
どちらにも良いところ、悪いところがあります。
一見、進み具合が遅いからってカメのお尻を叩いて、無理矢理ウサギに追いつかせようとすることが正しいことなのでしょうか?
僕は“普通”から外れているからって焦る必要はなくて、その子の個性を伸ばしていくのが良いと思います。
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