「『今日が人生最後の日なら、今日することは自分がしたいことだろうか?』答えがノーであるときはいつも何かを変える必要があると分かります」
1998年にスティーブ・ジョブズさんがスタンフォード大学の卒業スピーチで語った言葉です。
スティーブ・ジョブズさん以外でも多くの賢人たちが「死を想え」と言ってきました。
なぜ彼らは「死を想う」ことをすすめるのでしょうか?
「死を想う」ことでどんな効果が得られるかを調べた研究があります。
その実験によると、死を想うと人間は他者に優しくなるということが明らかになりました。
・死を想うと人に親切になる!?
フロリダ州立大学のマシュー・ガイリオット博士が2008年に行った実験では、墓場の前を通るように指示された被験者は、すれ違った人が落としたものを拾ってあげる確率が40%も上がっていました。
2010年の追試でも同じ現象が確認されており、自分の死を考えるように誘導された被験者は地球環境やコミュニティへの感謝の気持ちが増し、エコロジーや寄付活動に友好的な態度を取るようになりました。
このような現象が起こる理由について、スキッドモア大学のシェルドン・ソロモン氏は、「死への恐怖が個人の世界観を保護する方向に働いたからだ」と説明しています。
人は「死」について考えると、「あ~自分はいつか死んでしまうんだな」と生物のはかなさをあらためて認識します。
そこで生まれた「漠然とした死への恐怖」に対抗すべく、より確かなものにすがりつきたくなります。
すがりつくものは人によって異なります。
友人、家族、国、宗教、自然環境などなど。
すがりつくものが決まると人はその対象に投資をするようになります。
先程の実験の例で言うと、寄付活動に積極的に参加したり、落ちたものを拾ってあげたりすることで「自分はより大きなコミュニティの一部なんだ!」と意識するようになり、少しでも「死」への恐怖を和らげようとするのです。
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・死を想うことがマイナスに働くケース
「死を想う」ことは常に良い方に向かうわけではなく、マイナスに働くケースもあります。
2001年に起きたアメリカの同時多発テロ事件はその代表的な例でしょう。
悲劇の直後から行われた調査では、「9.11」「WTC(World Trade Center)」などの同時多発テロに関連するワードを提示された被験者の多くは、反射的に自殺や殺人といった「死」に関する考えが浮かびやすくなりました。
その「死」に関する考えはアメリカ人の行動を良い方向ではなく、悪い方向に変えてしまいました。
FBIの統計では、2000年には33件だったイスラム系へのヘイトクライムが、テロの後の2001年では600件まで急増しました。
5年後の調査でもヘイトクライムの件数は高いままでした。
この場合も「死」への恐怖に対処すべく、すがりつく対象を「アメリカ」にしたのだと解釈できます。
ただ、いつ来るかも分からない「死への漠然とした恐怖」ではなく、テロのような「死」の恐怖を与えた犯人がはっきりしている場合(少なくても自分はそいつが犯人だと確信している場合)は「死を想う」ことがマイナスに働くのだと考えられます。
・人はみんな「死」への漠然とした恐怖を持っている
人は誰もが存在論的恐怖を持っています。
存在論的恐怖とは「自分はいつか必ず死んでしまうし、それはいつなのかはわかならない」という認識から生まれる恐怖です。
「死」は避けることができないことなので、存在論的恐怖を直接的に解決することは出来ません。
しかし、僕たちは年がら年中、存在論的恐怖に悩まされているわけではありませんよね?
それは僕たちが存在論的恐怖に対処するためのメカニズムを持っているからです。
先程ご説明した「より大きなものにすがりつく」のもそうですね。
このメカニズムで核になるのが文化的世界観です。
文化的世界観とは、世界に意味と秩序、安定性と永続性を与えてくれるものです。
そして特に重要なのが、文化的世界観は不死概念(自分が死んだあとも何らかの形で存在し続けるという概念)が含まれているということです。
不死概念には、直接的不死と象徴的不死があります。
直接的不死は「死んだ後も天国で生き続ける」「死んでもまた何かに生まれ変わる」といった不死です。
象徴的不死は「自分の作品や業績の中に自分の一部が残る」「自分がこの世に存在していたことは誰かの記憶の中に残る」といった不死です。
このような不死概念は存在論的恐怖を和らげる効果があります。
僕がこうして記事を書いているのも「自分の死後もネット上に自分の一部が残り続ける」という象徴的不死によって、存在論的恐怖を和らげているのかもしれません。
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参考文献
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・死を想うと人に親切になる!?
・死を想うことがマイナスに働くケース
・人はみんな「死」への漠然とした恐怖を持っている